私も原爆資料館に訪れたことがあります。被災地の凄惨な光景に戦慄を覚えました。
サミットで原爆資料館を訪れた各国首脳が核戦争の悲惨さをどう思ったのか、一言も語らなかったことはとても残念でした。
サミットは壮大な政治ショーであったと感じました。広島の被爆者、サーロー節子さんの語った言葉がそれを物語っています。
毎日新聞 2023/6/8 記者の目
G7広島サミット 地元で取材して 核廃絶へ、うねりになれば=根本佳奈(広島支局)
「広島サミット」なのに、どこか遠い国のことのように思えた。厳粛な祈りの場であると同時に市民の憩いの場でもある広島市の平和記念公園は白いシートを張った高さ2メートルほどのフェンスで囲まれ、関係者以外は閉め出された。公園内にあるガラス張りの原爆資料館も目隠しのフィルムで覆われていた。
5月19〜21日に開かれた主要7カ国首脳会議(G7サミット)に出席するため、各国首脳が初めて被爆地に集った。私は開幕前から地元の動きを取材してきた。
原爆資料館を訪れた首脳らは何を見て、どんな感想を抱いたのか。被爆者の話をどんな表情で聞いたのか。どうしても知りたかったが、国の意向で明かされなかった。米国をはじめとする核保有国の世論を考慮したとみられる。
「どんな質問があったのか、どんな反応だったか。話したいけれど、『言ってはいけない』とくぎを刺されているんです」。英語で被爆体験を証言している小倉桂子さん(85)=広島市中区=はG7各国と招待国の首脳らが原爆資料館を訪れるたび、証言者として呼び出された。視察内容が非公開となったことで、取材は小倉さんに殺到。口止めする外務省と、視察の実相を伝えようとするメディアの間で板挟みとなり、憔悴(しょうすい)しているように見えた。
被爆者の間で評価分かれる
それでも小倉さんは「(首脳らから)心からの握手とねぎらいの言葉をいただいた。悲しいことは悲しい、つらいことはつらい、とわかっていただけたと思う。そこに違和感はありません」と言い切った。その上で「『核兵器のない世界』への流れが速まった。それに日本が一役買えた」と手応えを口にした。
だが被爆者の間で評価は分かれている。カナダから来日した広島の被爆者、サーロー節子さん(91)は記者会見で「大変な失敗だったと思う。核軍縮に関して市民と政府が一緒になって前進させようという機運が生まれただろうか」と失望感をあらわにした。核軍縮に関する首脳声明「広島ビジョン」が核兵器禁止条約に触れなかったことも「怒りというより驚いた」と感情を押し殺すように語った
開幕後にウクライナのゼレンスキー大統領が対面で出席することが明らかになり、サミットの話題の中心となった。もどかしさが募る中、私は広島市東区の田中稔子さん(84)に取材した。田中さんは6歳の時、爆心地から約2・3キロの自宅近くで被爆。頭などにやけどを負い、高熱で数日間、意識を失った。
これまで80カ国以上で被爆証言をし、交流してきた。かつてウクライナで出会った女性からロシアの侵攻後、「核兵器が使われたら、どんな恐ろしいことが起きるのか世界に伝えて」と頼まれ、今年4月に米国で若者に証言をした
七宝作家でもある田中さんは平和への祈りを込めた作品を制作している。取材中、まだ構想段階という作品のスケッチを見せてくれた。ウクライナの国旗がはためく中、黄色の麦畑とヒマワリ畑に無数の十字架が並んでいる。国旗の青と黄色の境目には、日の丸が半分ほど顔を出す。日本こそが仲介役になれるとの思いを込めた。「まさにサミットでその役割を果たせるように」。そう願っていた。
ゼレンスキー氏の復興の決意に共感
「広島ビジョン」の受けとめを田中さんに尋ねると、初めて核軍縮に特化した宣言という点を評価しつつ「核抑止力を容認している」と厳しい表情だった。ただ、原爆資料館を視察したゼレンスキー大統領が記者会見で、焼け野原の広島と母国の惨状を重ね、復興への決意を語ったことは前向きに捉えていた。
田中さんは被爆直後、泣きながら見上げた青空に「終わりじゃない。明日がある」と勇気づけられたという。「いつも上を向き、希望を見ようとすることが大事なんです」。この言葉に、どんなに厳しい状況でも、あきらめない被爆者の強さを改めて感じた。
サミット閉幕後、久しぶりに原爆資料館を訪れると、これまでに見たことがないほど長蛇の列ができていた。資料館は、本館の展示が終わると、出口がある東館まで渡り廊下でつながっている。原爆慰霊碑や原爆ドームを見渡せる。私はここを通るたび、美しく整備された公園の下に眠る犠牲者の無念を思い、胸が押しつぶされそうになる。
資料館を見学すれば、核兵器がもたらす地獄を思わずにはいられないだろう。一人でも多くの人が被爆地を訪れ、核廃絶を願う国際的な世論のうねりが生まれるきっかけになるのだとすれば、広島サミットには意味があった。サミットの真価が問われるのはむしろこれからだ。田中さんのように私も希望を持ちたい。