東北ボランティアで一緒だったAさんと「又、会いたいね」と相談していたところ、Aさんの別荘が梅ヶ島にあるからそこで1泊、ボランティア参加者のBさんも登山が趣味なのでBさんも誘い、3人で安倍奥の大谷嶺に登ることになりました。
Aさんの別荘は、広くてとても快適。梅ヶ島は湿気が多いため、普通の住宅では湿気がこもりやすいが、ログハウスは内部に湿気がこもりにくい構造であり、また窓ガラスも密着した2重ガラスを採用。これも結露防止には有効だそうで、さすが1級建築士の資格をもったAさんが作った別荘でした。
鍋を囲みながら久しぶりの再会に話が弾みとても楽しい夜でした。
翌日は大谷嶺への登山です。大谷嶺は私にとって初めての山です。
林道を進み、記念碑公園の手前で駐車します。以前は記念碑公園まで車でいけたそうですが、今は手前で通行止になっています。
駐車場からの大谷嶺です。左の新窪乗越まで一気に標高を稼ぎ、中央の大谷嶺まで稜線を登ります。
樹林体の中を進むと、広いザレ場の横断があります。ザレ場は上部に向かってどこまでも伸びています。
しばらく進むと扇の要に到着します。
扇の要をすぎ、登っていくと樹林帯が消え、新窪乗越まで続く大谷崩にさしかかります。
大谷崩れの最初の崩壊は1707年10月といわれています。これは梅ヶ島に現在も残る古文書の中で宝永4年宝永4年(1707年10月)に当時の代官が交代するとき、次の代官あてに提出された村の状況説明書で報告されています。それによると宝永4年の大地震により大谷崩が崩壊し押し流された土砂が三河内川をせき止め安倍川下流の山林が埋まってしまったと書かれています。
大谷崩は大きな岩石の連続があるかと思えば、滑りやすい砂利の連続、新窪乗越までの急登は普段の登山道と違い、脚に負担がかかります。
新窪乗越は南側の展望がきく大谷崩の頭部です。
大きくえぐられた山肌から過去の大規模な崩壊の様子が伺えます。
新窪乗越から崩壊地の縁を歩き、急な二つ目のピークを登りきると大谷嶺(1997.3m)に到着しました。
山頂に到着した頃は霧が発生、期待していた南アルプスの眺望は全く見えず。
下山途中新窪乗越でカモシカに遭遇。なぜかカモシカは人間を恐れない、ゆっくりと林の中に消えていきました。
大谷崩の下山はとにかく落石に注意。またザレ場は滑りやすく慎重に下山しました。
この山はガレ場の連続と、一気に標高を稼ぐため、結構きつい山でした。