2014年11月27日

韮山代官江川太郎左衛門 オペラ・坦庵 公演

「韮山反射炉を世界遺産に!」と盛り上がっている伊豆の国市のアクシスかつらぎで11月26日にオペラ・坦庵の公演(入場料無料)が行われました。アクシスかつらぎの大ホールは観客で満席状態でした。
坦庵とは韮山反射炉を作った江川太郎左衛門のことです。
オペラ・坦庵の作者は伊豆の国市市長・小野登志子さんです。

あらすじです

若き日の坦庵(たんなん)江川邦次郎は韮山代宮江戸役所で見習をするかたわら、岡田道場で兄弟子斎藤弥九郎の胸を借りて剣術の稽古に励んでいました。兄の急死後、韮山に戻り、旗本北条氏征の娘柔(やす)と祝言を挙げ、12年後代宮に就任しました。
その頃、日本には外国船が現れ開国を迫つていました。清国ではアヘン戦争も勃発、外国からの侵略に対するには武力も整えなければならない…。坦庵は江戸で尚歯会(しょぅしかぃ)の仲間たちと蘭学の研究に励むと、日の前す。学んだことを生かすには?坦庵は幕閣に建議書を出しますが、なかなか採用されませんでした。それどころか、日付の鳥居耀蔵の反感をかい、弾圧を受け、渡辺華山は獄中に捕らわれてしまいました。…
江戸を去る坦庵の心は重くなっていき・・・「里はまだ 夜深かし富士の あさひ影」と詠んだのです。
坦庵は長崎の高島秋帆に砲術の手ほどきを受けました。洋書や武器や道具を買い、国防を考え、日夜、反射炉の研究を重ねました。農兵を組織し、携行食のパンを焼き上げることにも成功しました。学者を召し抱えることには金を惜しまない坦庵でしたが、家族の生活は質素で妻の柔は倹約生活によ<耐えていました。
いよいよ黒船がやってきます。幕府は坦庵を要職に取り上げようとしますが、すでに坦庵の身体は病に冒されていました。死を前にして初めて坦庵は柔と心の通い合う時を持ちます。反射炉の完成を前に坦庵は・・・。
反射炉の築造は、柏木総蔵と江川英敏に受け継がれて完成し、火が入りました。その火は坦庵の熱き心の火。そして日本の未来に繋がる火となったのです。


わかりやすい内容、歌声も演奏も素晴らしいオペラでした。出演の伊豆市民オペラ協会をはじめとする出演者の熱演、、満員の観客、そして観客と一緒になって踊る市長。暖かい熱気に包まれた公演でした。
韮山反射炉を世界遺産にと頑張っている伊豆の国市の熱気に、伊豆の国市民でない私も酔いしれました。

韮山時代劇場やアクシスかつらぎなどでは1年を通してで演劇やコンサートなどが開催され、伊豆の国市は「文化のにおい」感じられます。
しかし、伊豆箱根鉄道でたった2駅しか離れていない伊豆市に降り立った途端、「文化のにおい」は消え去ってしまいます。伊豆市でコンサートといえば年1回に行われるクラシックコンサートくらいしか思い浮かびません。寂しい限りです。
オペラを作り、市民と一緒になって踊る市長と、成長戦略を唱え「お金,お金と経済最優先」で頑張る市長との差がこうした文化の差となって現れてくるのではないかと私はフット思いました。

どちらが市民のためになるのか、それは市民自身が決めることでしょう。




posted by イズノスケ at 06:00 | TrackBack(0) | 伊豆の行事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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