2017年04月06日

これが復興か 福島の今 その2・・・ 八方内仮設住宅

これが復興か 福島の今 その2・・・ 八方内仮設住宅

南相馬市役所駐車場で老健ホームの職員さんと待ち合わせ。持参した「特大のタイ焼き」の差し入れをしました。世界で一番大きいタイ焼き、静岡県西部では売っているようです、初めて知りました。


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八方内仮設住宅で住民の皆さんと交流

浪江町から避難してきた方々が住んでいます。70軒ほどありますが、転居した方が多く、今では20〜30軒ほどが住んでいます。転居先は建設が進んでいる復興住宅が主なようです。仮設住宅のすぐ隣でも復興住宅が建設中でした。

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集会場で交流会を行いました。仮設住宅に住んでいる方、復興住宅に住んでいる方が参加してくださいました。

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原発事故の後、避難命令が出て、各地を転々とせざるを得なくなった。引っ越し回数を聞くと5〜6回と言う方が多かった。
帰還困難区域に自宅がある方・ボランティアの方々に助けられ、家はきれいなっているので帰りたいと思う。しかし帰れない。自宅を見に行ったが2時間しかいられなかった。浪江町の真ん中は放射線量が高く入ることができない。ネズミやイノシシの被害も多く、泥棒にも入られた。

仮設住宅から復興住宅に移るとすべて自己負担となり、補助金は打ち切られる。
復興住宅は高層(5階建)の為、高齢者には困る。ここなら住民の顔が見えるが、復興住宅に行ったらばらばらになってしまうのではないかという不安もある。夜はエレベーターが止まってしまう。買物には2時間もかかる
復興住宅に移っても自宅は壊すことができない。家が無くなれば税金が高くなってしまう。

震災2年目の冬に訪れた岩手県遠野市の仮設住宅では、ボランティアや行政が入り集会所で住民同士の交流や、サークルなどが活発に行われていました。八方内仮設住宅では現在そうした行事は行われていないようです。住民も減り、個々ばらばらになり、残った少ない住民同士で励ましあって生きている。6年もたつとこうして大きく変化していってしまったようです。

交流会には10人ほどの高齢婦人が参加してくださいました。その中で一生懸命話してくださった方の言葉です。
「生きていくことは楽しい。生きていてよかった。百歳まで生きたい」「死にたいなど考えないほうが良い」「甘えてはいけない」

原発事故の為に生活していた住居を追われ、5回も転居をしなければならなかった。1年以内には仮設住宅から追い出され、どこかへ移らなければならない。復興住宅に行ったら、家賃は自己負担となり、補助金は打ち切られてしまう。ほとんどの方は単身で住んでいます。
これからいったいどのような生活が待っているのか。不安がいっぱいなはずです。
しかし、そんな状況の中でも明るく、前を向いた歩こうとしている老婦人の言葉に何も言えない私がいました。

報道ステーションで復興大臣の記者会見を見ました。
「自主避難者は自己責任。裁判でもなんでも起こせばよい」
これが日本の政治の悲しい現実です。















posted by イズノスケ at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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