2021年03月08日

福島原発事故から10年 これが復興か 福島の今・・・その4 浪江町

3月7日は東日本大震災の特集が多くのテレビチャンネルで放映されていました。
3月11日で東日本大震災、福島原発事故から10年を迎えます。
私は2017年に仲間とともに福島原発事故自治体を訪問し、ブログで記録しました。
2017年当時の私の記録を、2020年12月10日の浪江町のホームページよる浪江町の現状と比べてみました。

2017年04月08日

これが復興か 福島の今・・・その4 浪江町


2011年3月12日、東京電力福島第一原発の1号機建屋が水素爆発しました。原発から約8キロの福島県浪江町。大勢の住民が避難し厳しい避難生活が、この日から始まりました。

浪江町の地震被害民家を訪問しました。もちろんこの家の方は避難していて無人です。
震災当時は家の中はめちゃくちゃでしたが、行政やボランティアの方々により家の中はきれいになっています。

浪江町請戸地区

浪江町の請戸(うけど)漁港は被災前、漁船約100隻が操業し、2,300トンを超える漁獲量がありました。
今復興に向けて漁港の修復が行われ、また周辺では大規模な工業団地建設のための再開発が計画されています。
浪江町請戸地区には「請戸小学校の奇跡」といわれた小学校があります。請戸小学校は現在そのまま残されています。
この場所にはたくさんの民家がありましたが、津波ですべて流されましたが、コンクリート作りの建物は外観だけは残っています。

http://iizusiseirepo-to.seesaa.net/article/448808957.html?1615123220

【初めての方へ】すぐわかる浪江町(なみえまち)の現況

2020年12月10日浪江町ホームページ

東京電力福島第一原子力発電所の事故のため、双葉郡の市町村の住民は避難を余儀なくされ、浪江町21,000人の町民は全国に散り散りになりました。その後、浪江町内の避難指示が継続する中、除染やインフラ復旧、生活基盤の再生が進められました。平成29年3月31日には、一部地域の避難指示が解除され、一部地域での居住ができるようになるなど、復興に向けた取組が進められています。一方、現在も多くの町民が福島県内外での避難生活を余儀なくされています.

東日本大震災当時の人口は、約21,500人でした。現在の住民登録数は約17,000人です。

浪江町内には約1,500人が居住しています。その他の町民は、現在も町外での避難生活を続けています。避難先は福島県内が約7割、県外が約3割(45都道府県)で、福島県内の仮設・借上げ住宅には、現在も約20人が居住しています。町は、町民の交流や戸別訪問を通じて、生活再建を支援するため「復興支援員」を福島県内外に配置しています。

令和2年9月に実施した住民意向調査では、「戻りたいと考えている」が10.8%、「まだ判断がつかない」が25.3%、「戻らないと決めている」が54.5%となっています。

https://www.town.namie.fukushima.jp/soshiki/2/namie-factsheet.html
posted by イズノスケ at 00:00| Comment(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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