2014年03月09日

伊豆の国市・城山さくらまつり

久しぶりに晴れた週末。河津桜を見に行く車でしょうか、136号は渋滞が激しいようです。
そうした渋滞を避け、伊豆の国市の「城山さくらまつり」に出かけてきました。
アピタ裏の狩野川堤防にはたくさんの城山さくら(河津桜が)が植えられ、今が見ごろです。

狩野川堤防上には露店が並び、天城連峰太鼓演奏(伊豆総合高校)やモダン日舞ソーラン踊り(樹の子)やなどのイベントなども行われ、多くのさくら見物の人々でにぎわっていました。

狩野川堤防と遠くに箱根の山々

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堤防上の桜並木

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河津さくらは淡いピンクでとってもきれいです。

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ロッククライミングのメッカ・城山と河津さくら。今日も寒い中クライマーが挑戦していました。

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2013年11月28日

伊豆収穫祭&JA祭り伊豆

11月17日(日)天城ドームで行われた「伊豆市収獲祭&JAまつり伊豆」に行ってきました。快晴の天気で気温も暖かく、絶好のお祭り日和、たくさんの市民でにぎわっていました。

駐車場がすぐ満車になると聞いていtので9時ころには天城ドームに到着しました。この時間帯にはさすがまで駐車場はガラスキでした。

天城ドーム前の広場では伊豆市内からいろんな団体が出店しテントが並び早くも買い物客で賑わっていました。その一つが伊豆の名産「どんこシイタケ」の焼きたての試食販売です。焼きたてのシイタケのいい香りが漂っています。焼きたてのシイタケにその場ですりおろしたこれも伊豆の名産「わさび」をつけて食べます。とっても美味しかったです。

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天城ドーム内にはいると、伊豆の農産物の見事な作品が並べられています。

金賞を得た大きな白菜

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同じく金賞を得たわさび

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こうした伊豆市内で生産された見事な野菜には信じられないくらいの安い価格で値段がついています、これらの野菜はあとから整理券が配られ先着順に買い物ができる権利が与えられるそうです。

そのほかのブースでは野菜以外にも伊豆市街からの果物なども格安な価格で販売され、私たちの買い物が増えていきます。
こうした食べ物以外にも手作り工芸品なども人気を博していました。妻はこ来年の干支の馬の工芸品を買っていました。

開会式前の舞台では太鼓の演奏や、よさこいの踊りなどが繰り広げられ、賑わいを見せていました。

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開会式はパス、たくさんの買い物もしたので早めに帰ることにしました。場内の案内で伊豆大島災害支援のために、天城道の駅で店を出している「たけのこかあさんが」海鮮汁とイノシシ汁を販売しているとの放送がありました。天城ドーム前の広場の前に出店している「たけのこかあさん」のテントの前は長い行列ができていました。私たちも募金して「イノシシ汁」を食べました。イノシシ特有のちょっとした臭みがありましたが、アツアツのイノシシ汁はとてもおいしかったです。

自家用車やシャトルバスで来場した人々で天城ドーム前広場はごった返ししていました。2日間でどのくらいの入場者があったのでしょうか。帰る頃には広い駐車場も満杯で、駐車待ちの車が並んでいました。
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2013年02月21日

伊豆半島初の「トレイルランニングレース」

2月19日・伊豆日日新聞コラム「狩野川」には3月10日に予定されている伊豆半島で計画されているトレイルランについて書いています。

その内容は以下のようです。

山岳を走るトレイルランニングレースが最近、全国で開催され人気が高い。来月10日に予定される伊豆半島で初の「伊豆松崎・修善寺間山岳競争大会」(実行委員会主催)に対し、一部から「天城の貴重な自然が壊される」と心配する声が上がる。

全国から1500人が出場。募集開始2日で満杯になった。松崎新港を五千6時にスタートし、旧天城峠〜猫越峠〜仁科峠〜船原峠〜達磨山〜戸田峠〜修善寺温泉までの70キロのコース。海から山へ、風光明媚で自然豊な山稜線を踏破する。

天城の自然を愛する後藤さんは、「特に問題なのは二本杉峠〜猫越峠〜仁科峠。天城連峰は火山で形成された山々。地盤はきわめて脆弱。短時間に千人以上が駆け抜けると負荷は計り知れない。トイレの問題もある。
伊豆の自然保護団体は「貴重な植物が踏み荒らされる」と懸念。一方、実行委員会の松本潤一郎さん(30)は「貴重なブナの原生林が残る二本杉峠〜仁科峠には監視員を13人配置し、コースを外れないよう徹底する」と力説。トイレは各補給所に用意するほか、携帯トイレを持参しないと参加できないルール。ストック使用も全面禁止。後藤さんは「当日、仲間と実態調査したい」と話す。
松本さんは「レース前後に土がどの程度踏み固められたかなど環境アセスメントも実施する」と言い、主催者は自然保護に配慮。日本を代表する自然と共生する恒例大会になればと願う。



シカなどによる食害や森林の放置による天城山の荒廃は、この伊豆日日新聞でも度々特集で取り上げられるように激しい勢いで進んでいます。
特にシカによる食害はひどく、植物は毒のあるもの意外は食い尽くされ、冬季には樹木の皮を剥ぎ取る被害で樹木もいたるところで枯れ、倒壊しています。
そうして植物が食い荒らされた土地はやせ細り、土砂が流されやすくなり、急傾斜地での崩壊が頻発しています。
そして、かっては藪などで遠くまで見渡せなかった山々は、今では遮るものが無くどこまでも見渡せるようになってしまいました。
天城山はそうした危機のさなかにあるのです。
これは登山をする人にとって広く知れわたっているのです。

登山道はたくさんの人が行き来するところではないことは、誰でもわかることでしょう。
登山道はたまには広いところもありますが、2人がすれ違うことができるような狭い所がほとんどであり、待っていないとすれ違えないように狭いところもあります。

旧天城峠〜二本杉峠の登山道はがけ崩れなどで荒廃しています。

このコースの中で後藤さんが心配している二本杉峠〜仁科峠は私も何度も行き来していますので良く知っています。
猫越峠〜仁科峠間の登山道は火山灰でできた柔らかい土で覆われ、雨の後登山しようものなら登山道はぐちゃぐちゃです。一部急傾斜では滑って登ることも大変な所もあります。そうした箇所には滑り止めも設置していますが、千人ものランナーが駆け下りたらひとたまりも無いでしょう。

何よりも恐れるのはこれほど長いコースにたった13人しか監視員を配置しないことです。長い道中を13人でどうやって監視するのでしょうか。まず不可能でしょう。

1人か2人しか通れない登山道を1500人が走った時どうなるかは分かりきったことです。普通の登山ではなく競技ですから人よりも早く走らなければなりません。その時ランナーはどこを走るのか。登山道をはみ出なければ前に進めないのです。

登山道でないところを多数の人間が走ったときどうなるか。
そこには新たな道ができてしまうのです。そこから水が流れ次第に深くなり、新たな山の崩壊が始まるのです。

伊豆日日新聞は特集を組んで「天城の自然を守れ」と主張しているのですから「日本を代表する自然と共生する恒例大会になればと願う」と願っているだけでなく、どうしたら貴重な自然を崩壊させないようなトレイルランにしたいのかをもっと問題提起して欲しいものです。

そして主催者はランナーがはみ出したり、登山道を荒らさない具体策をもっと考えることが必要ではないでしょうか。

自然はいったん崩壊してしまったら修復するには膨大な時間と費用が必要になってくるのです。
私たちの愛する天城山を守るにはどのようにしたら良いのか。全国から来てくださるランナー共々、行政も地元の人間も真剣に考える時だと思います。

<参考>
ウイキペディアによると
トレイルランニング(Trail running)は、ランニングスポーツの一種で、舗装路以外の山野を走るものをさす。
不整地を走るランニングスポーツとしては、以前からクロスカントリーがある。欧米では盛んだが日本ではあまり知られていない状態であった。その後マラソンブームや登山ブームの波にのって、両者の要素を併せ持つ「トレイルランニング」が知られるようになっている。
マラソンと同様にほとんど装備を持たずに走るクロスカントリーとは異なり、トレイルランニングでは専用の小型リュックサックに必要な装備を入れて走ることが普通である。
近年のトレイルランニングの普及によって専用の装備も開発されるようになり、トレイルランニング製品の市場も拡大しつつある。例えば、シューズでは、登山靴でもランニングシューズでもない、軽く走りやすくグリップの良いトレイルランニング用シューズを使うことが認知されてきた。また、水筒の代わりにチューブを使って給水できるハイドレーションシステム、走りをサポートするストックなども、使われるようになってきている。
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2013年01月08日

立派な「どんど焼き」ができました 

「どんど焼き」とは小正月(こしょうがつ=1月15日)の行事で、正月の松飾り・注連縄(しめなわ)・書き初めなどを家々から持ち寄り、一箇所に積み上げて燃やすという、日本全国に伝わるお正月の火祭り行事です。

どんど焼きの火にあたったり、焼いた団子を食べれば、その1年間健康でいられるなどの言い伝えもあり、無病息災・五穀豊穣(むびょうそくさい・ごこくほうじょう)を祈る民間伝承行事です。

毎年三が日が終わると子供会が「しめ縄」などを集めに回り、5日ごろには子供会を中心に、その親御さん、地区の役員などが作ります。

私の小さい頃はたくさんの子供たちが中心になって作りました。しかし今は子供の数が減り、曲がり角に来ているようです。これからも子供の数は減り続けます。もっと減ってしまった時この行事はどうなるのでしょうか。いつまでも続いて欲しいと思います。

今年も立派なものが出来上がりました。

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2012年08月02日

伊豆の国市・大仁花火祭り

昨夜、大仁の花火祭りがありました。今年は8000発とか。

19時頃、駐車させていただいたヤマダ電気の駐車像はほぼ埋まっていました。
車で徒歩で、続々と花火会場には見物客が訪れます。圧倒的に若者や小さな子供連れの家族が多い。伊豆にもこんなに若者たちがいるんだ・・・。

堤防沿いには屋台がぎっしり出店していました。ちょっと屋台をひやかして歩きましたが、見物客であふれる堤防沿いは熱気でムンムン汗が吹き出てきます。

早々に退散して、大仁橋の手前のGSの横で花火見物をしました。ここなら人は少なし、涼しい風が通り抜けていきます。

19時半より花火がスタートしました。信号機やライトがちょっと邪魔ですが、素晴らしい花火を満喫しました。

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20時半すぎ、フィナーレの打ち上げ花火で終了しました。

西伊豆では最大級の大仁花火祭り。不景気で運営も大変でしょうが頑張って続けて欲しいイベントです。
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2012年02月29日

中山千夏さん「ただいま雑記」・・・伊豆日日新聞より

26日に行われた中山千夏さんの講演会は百人余の参加で盛況でした。当日のことを中山千夏さんが伊豆日日新聞で連載されている「ただいま雑記」に書かれているので紹介いたします。

日曜日、修善寺へ行ってきました。大瀬なんかに潜りにいくとき通るので、修善寺は馴染みある場所なんだけど、話に行ったのは初めて。
「中山壬夏さん『私のための原発メモ』」と題する講演会。主催は伊豆市の「新日本婦人の会」。伊東市など他の町からも来てくださった老若(?)女女(男性もちらほら) で、市立図書館の小さな視聴覚室はあふれかえった。
当コラムの読者が何人もいらしたのは、嬉しかったなあ。伊東在一住の友だちもふたり来てくれた。
ひとりは前にここ(第35回)で話したことがある。友人のなかで最年長のダイバー、富戸在住の笹森京子さんだ。何年ぶりだろう。背骨が少々、具合悪いとかでステッキをついていらしたが、頭しゃっきり、言葉すっきり、これで92歳とはいやはや。なにかでこの講演会を聞きつけて、アッシー君を調達してやってきた。彼、宇佐美在住のI君は私の遊び仲間でもある。帰りは便乗させてもらって、大好きなドライブを楽しんだ。

全文は以下をクリックしてください。

中山千夏.pdf

伊豆市からの参加者の最高齢は88歳の女性でした。「とても良い話をお聞きし、参考になりました」と述べていたそうです。

中山千夏さんは「男性はは理屈で納得しないと動かない、すぐ経済という」と男が原発反対運動になかなか参加してこないことを残念がっていました。
それに比べ女性は素晴らしいですね。「いやなものはいや」と言い切れる女性に学び、男性ももっと表に出てきて欲しいものです。


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2012年02月24日

2月26日・中山千夏さんの講演会のお知らせ

2月26日、中山千夏さんの講演会が行われます。

主催者:「新日本婦人の会」

テーマ:「私のための原発メモ」

中山千夏さんは同名の小冊子を発行しています。原発問題に専門知識が無くてもわかりやすく書かれています。

26日にも、私たちに原発問題の要点をわかりやすく講演してくださることと思います。

浜岡原発を駿河湾をへだててすぐ近くに抱える私たちにとって、無関心ではいられません。
たくさんの聴衆で中山千夏さんをお迎えしましょう。

詳しくは下記pdfをご覧ください。

中山.pdf
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2012年01月07日

「どんど焼き」の準備


どんど焼きの準備をしていたので見学しました。

それではどんど焼きとはどんな行事でしょうか。ネットで調べましたら以下のような記事がありましたので紹介いたします。


「どんど焼き」で無病息災を祈り、良い年を迎えましょう!

〇行事内容

「どんど焼き」とは小正月(こしょうがつ=1月15日)の行事で、正月の松飾り・注連縄(しめなわ)・書き初めなどを家々から持ち寄り、一箇所に積み上げて燃やすという、日本全国に伝わるお正月の火祭り行事です。神事から始まったのではありましょうが、現在では宗教的意味あいは少なくなっています。

一般的には、田んぼや空き地に、長い竹(おんべ)や木、藁(わら)、茅(かや)、杉の葉などで作ったやぐらや小屋(どんどや)を組み、正月飾り、書き初めで飾り付けをしたのちそれを燃やし、残り火で、柳の木や細い竹にさした団子、あるいは餅を焼いて食べるという内容で1月15日前後に各地で行われます。

どんど焼きの火にあたったり、焼いた団子を食べれば、その1年間健康でいられるなどの言い伝えもあり、無病息災・五穀豊穣(むびょうそくさい・ごこくほうじょう)を祈る民間伝承行事です。



だるまを結い付けた大きな竹を中央に立て、その周りに周辺の家庭から出た正月飾・しめ縄や、年末に家庭で剪定した木の枝などをうずたかく積み上げます。

その周りを細い竹で覆い、荒縄でしっかりと縛りますと完成です。

どんど焼きの点火は8日午前6:00です。

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どんど焼きは子供会が中心になって行われますが、小学生の減少でどんど焼きの継承が困難になってきていると聞きます。

子供たちの父兄は大変だと思いますが、伝統のある行事を絶やさないように頑張ってほしいものです。





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2011年10月22日

伊豆市民文化祭・芸能部門が本日より開催されます

第8回伊豆市民文化祭・芸能部門が10月22日(土)23日(日)に開催されます。

会場:伊豆市民文化ホール

時間:午前9:00より


文化協会加入の各種サークルが、大正琴、民謡、コーラス、朗読、ピアノ演奏、日本舞踊、バンド演奏、社交ダンス、フラダンスなど1年間一生懸命練習してきた成果を発表いたします。

伊豆市民文化ホールのラウンジ内で飲み物コーナー、屋外においては軽食などの模擬店を出す計画もあります。

今日はあまり天気がよくないようですが、市民の皆様ががんばっている姿をたくさんんの方々が見に来てくださるようにお願いいたします。

お問い合わせは・・・伊豆市文化協会事務局(社会教育家内)0558−83ー5478まで



なお、展示部門は以下のように開催されます

11月5日(土)・6日(日)

  会場:伊豆市民文化ホール


11月11日(土)・12日(日)

  会場:土肥小学校・中伊豆中央公民館・狩野ドーム
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2011年10月16日

被災地宮古市から学ぶ・・・東日本大震災から学ぶ

10月15日に行われた伊豆市社会福祉大会 アトラクションより

〜東日本大震災から学ぶ それぞれの経験を語る〜
「被災地から見た震災」



       M・A・D


「あの日からの僕たち」

2011年3月11日

あの日から僕たちの街 宮古市は被災地と呼ばれるようになりました。

数え切れないほど流した涙

何かしていないと押しつぶされそうな状況の中で生まれた仲間との強い信頼

助けを待つのではなく 自分たちの力でこの街を引っ張っていきたい
そんな思いでこの団体は生まれた

Miyako Action Developmennto

僕たちがやっています

売り上げの10%を東日本大震災の儀損金として中央共同募金会へ寄付します



アトラクションで講演された岩手県宮古市災害ボランティア団体M・A・Dが昨日の福祉大会で販売していたバッジの中に書かれていたメッセージです。


岩手県宮古市災害ボランティア 千葉智弘氏の講演内容の一部を紹介します。

被災地宮古市になった日

穏やかな三陸の港町、宮古市はあの日から「被災地」になった。暗くて、寒くて、ひたすら不安で。いったい何が起こったのかも、大切な人たちが無事なのかも分からなかった。

私はパンクファッションの店を営業していたが、1階は全滅になった。それでも私の家はまだましだった。宮古市は大津波で大変な被害にあっていた。

ライフラインが壊れ、家族の安否も分からない中、ある1箇所だけ携帯がつながる場所があった。2人の娘と連絡が取れた。


ボランティアを始めたきっかけ 


「パパ生きていて良かった」

この一言が打ちのめされていた自分がボランティアに取り組むきっかけとなった。

災害直後から市内をかけずりまわながら、災害現場の映像を記録して残そうとしている友人、市役所に勤めて災害ととり組んでいる友人を見て、パンクショップを営業している自分にできることはなんだろうと考えた。それはボランティアしかない。

最初のボランティアの活動

お年寄りだけの家の瓦礫撤去が始めての仕事だった。津波で内部が破壊された家から、海水につかった重い畳を運び出す、ヘドロを運び出す。すざまじい悪臭の中ボランティア仲間と必死にやった。

依頼主から自分の今までの人生の中で経験したことのない心の底からの「ありがとう」の言葉をもらった時、ボランティアを続けていきたいと思った。

日々変化していくボランティア

日々変化していく活動

3月〜4月

救援物資の仕分け 被災地の住宅の家財、泥撤去 避難所支援

5月〜6月

団体/県外ボランティアが活躍

炊き出しなどのイベント 泥だし、仮設住宅への支援、側溝の泥だし


7月

仮設住宅サロン ニーズ掘り起こしの為の全戸ローラー作戦 宮古市民ボランティア有志による「M・A・D」の設立

8月〜9月

ボランティアセンターとM・A・Dの協力体制 仮設住宅サロンの開始 仮設住宅への物資配布 秋祭りなどへ県外個人ボランティアの集結


まとめと課題

災害直後のニーズが一番ある時期ニーズとボランティアのマッチングの遅れ
力仕事は災害発生から2〜3ヶ月まで
新たなニーズの掘り起こしはニーズがとぎれるまえから始めなければならない
個人ボランティアと長期ボランティアの必要性


たくさんの仲間とともに

最初は1箇所4〜5人のチームだったのが100人単位に。人数が増えても目指す目標も志も同じ
  
  「復 興」



とても長くなりました。私たちの住む静岡県でも東海沖地震はいつ起こっても不思議ではないと言われています、大震災と同時に発生するかもしれない「浜岡原発」の事故。

そんな災害に備え、私たちは今何をすべきなのか、真剣に考える時期に来ていると思いました。しかし今日の参加者の少なさを見て少々残念な気がしたのも事実です。












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