2013年12月26日

「挑戦する心」 全日本フュギアー選手権から教わったこと

私はスポーツ番組はあまり見ないのですが、その例外の一つがフィギアスケートです。

12月21日〜23日に開催された全日本日フィギア選手権は感動的で、素晴らしいものでした、
女子で1位でオリンピック代表となったなった鈴木明子選手は28歳、辛くもオリンピック代表に滑り込んだ高橋選手は27歳。
フィギュアスケートの世界では10代の選手が主力の中、こうしたベテラン選手が力強い、感動的な演技を見せてくれました。

高橋選手は大会直前の怪我で足に力が入らずショートで失敗し、もう絶体絶命になってもフリーで果敢に4回転ジャンプに挑戦していったその挑戦する気持ちが私たちの感動を呼び起こしました。
オリンピック代表発表のとき、高橋選手の名が呼ばれた瞬間の会場の大きなどよめきと拍手は、そうした私たちの気持ちを代弁してもらえたものでした。私も本当にうれしかったです。

鈴木選手の演技もどちらも素晴らしかったし感動的でした。鈴木選手も最近まで不調にあえぎ、もうだめだとあきらめかけていた時、母親が「私のために滑って」と語った言葉に発奮してこの大会に臨んだそうです。

競技生活の中では決して若くないこの二人の活躍は「挑戦する心」の大切さを私たちに教えてくれました。
人間はいくつになっても夢を追い続けることが心身をはつらつとさとし、若々しさを維持していく為に大事なのだと、この二人から教わりました。

青春とは年齢や体力だけを指すのではなく「心の持ちよう」だと誰かが語っていました。
いくつになっても目標を持ち、その実現のために果敢に挑戦していくことに「生きていく価値」を持ち続けていきたいと思うのです。
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2013年08月14日

孫の絵手紙

我家での孫の夏休みも今日が最終日です。めちゃくちゃ暑かったこの期間中、3回の川釣り、3回のプール、花火見物、ボウリング、萬城の滝祭りとパワフルな孫の相手をやり遂げました。
今日から暑い、暑い愛知県に帰っていきます。伊豆は暑いといっても彼らの住むところと比べれば別天地です。「帰りたくない」という気持ちもわかりますが彼らの親も帰ってくるのを首を長くして待っている事でしょう。

年に1回か2回しか顔を合わせることが無い孫の楽しい思いで作りはできた事と思いますがさすがにくたびれました。今日から夫婦2人だけの静かな生活が戻ってきます。
月並みの言葉ですが「孫が来ると嬉しいが、帰るともっと嬉しい」が実感です。毎日の食事作りと1日3回もおこなった洗濯などでも頑張った妻ともども、自分自身にもに「お疲れ様でした、よく頑張ったね」と健康な体を褒めてやりましょう。

昨日小4の孫娘が妻の助けを借りて絵手紙に挑戦していました。絵は妻が手を添えて書いたものですが、文と色ずけは彼女自身のものです。習字を習っているだけにしっかりした文字にびっくりしました。こんなところにも孫の成長を見ることができます。

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2013年08月10日

「なんじゃこりゃ」の萬城の滝の付近で渓流つり

孫の夏休み3日目は萬城の滝での渓流釣りです。

萬城の滝はウイキペディアによると

天城山の北麓を源流とする狩野川、その支流である地蔵堂川に滝は位置する。およそ2万4000年前に伊豆東部火山群の活動の一端として地蔵堂火山が誕生。そこから流れだした溶岩流の末端付近にあるのが万城の滝である。岩盤には美しい柱状節理を持つ。

別名に表れているように、以前は滝の裏側を見ることができたが、岩盤の崩落のおそれがあるために、現在歩道は閉鎖されている。また、2010年 - 2011年にかけて、崩落防止のために柱状節理の溝をモルタルで埋める補強工事が行われ[2]、自然そのものの姿は失われている。そのため、滝は県と伊豆半島の7市6町が取り組んでいる「伊豆半島ジオパーク構想」の候補地の一つであったが、人工的に手を加えたことにより、この滝をジオサイトとして指定することができなくなった。

滝には、「この地に住んでいた赤姫の機を織る音がこの滝の水の音と合して、牛の鳴き声に似ているので、滝の主はこの赤姫の飼っていた赤牛である」との伝説が残されている。
周囲には「萬城の滝キャンプ場」や「寄生木(ヤドリギ)」などがある。毎年8月中旬には「萬城の滝祭り」が開催され賑わう。


うだるような暑さの中、萬城の滝の上流の渓流は涼風が吹きぬけ、別天地のようです。その渓流の水は青く透き通っており、とても冷たい水が流れています。

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こんな美しいところで孫2人と渓流釣りに挑戦しました。しかし、昨年はたくさん釣れたのに今年はウキがピクリともしません。
涼しい渓流沿いの旧ワサビ田だった広場で、妻が孫の要望で豚汁を作り、昼食をしました。こんな夏でも熱い豚汁はとても美味で孫たちも大喜びでした。

昼食後は滝の下流の水遊び場に行きました。ここにはたくさんの子供たちが遊びに来ていました。5分も浸かっていられないほどの冷たい水の中で水遊び。子供たちはほんとうに元気です。
ここで再び釣りに挑戦し、小さなアブラハヤがたくさん釣れましたがすべて放流しました。孫は狙いの魚は釣れなかったですが、冷たい水の中で遊び満足だった事でしょう。

それにしても萬城の滝の激変ぶりには驚きです。下の4つの写真を比べてみてください。
大切な自然が行政によってどのように破壊されたかの見本のようなものです。この工事は滝の崩落を防ぐ為におこなったという事ですが、このような姿に変えてしまった伊豆市の自然に対する認識を疑います。

この滝を見て行政に批判的な記事は一切書かない伊豆日日新聞でさえ「なんじゃこれは」と評しました。自然愛護保護団体からも大きな批判が沸き起こりました。菊地市長は「何年か過ぎれば、コケなどが生えて自然の姿に戻る」と市議会で答弁をしましたが、現状を見る限りそんな事はあり得ないでしょう。
伊豆は日本ジオパークに認定されたのに、この工事によってこの滝は除外になってしまいました。なんとも情けないことです。

自然のままの萬城の滝

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壁は塗り固められました

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そしてとんでもない物が付け加えられました。

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その拡大写真です。いったいこれはなんでしょうか。

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2013年08月08日

『伊豆の匂いがする』・・・孫の夏休み

孫が愛知県から遊びに来ています。中学1年生と小学生4年生の2人が新幹線に乗ってきました。親は仕事が忙しくこれないようです。昨年も2人で1週間ほど滞在していきましたが、今年はもう少し長い模様です。

修善寺駅に降りついた途端、孫の一声「伊豆の匂いがする」。孫によると三島でも、修善寺駅でも、そして我が家でも「伊豆の匂い」は違うそうです。
「伊豆の匂い」どんな匂いなのでしょうか。私にはわかりません。彼の母親に電話で話したところ「私も伊豆へ行ったときそのように感じる。稲の匂いではないでしょうか」とのこと。
自宅のすぐ近くにある山々、田んぼ、そして狩野川の清流の音、ヒグラシの鳴き声・・・そんなものが交じり合って独特な匂いを感じるのでしょう。
伊豆に住む私たちがともすれば忘れてしまうこんな伊豆の素敵なところが孫たちは大好きなようです。

夫婦2人だけの静かな家庭が激変しこれから1週間、孫中心の生活が始まりました。
昨日は、天城温泉プールで水泳を楽しんできました。年々逞しくなってくる孫たち、小4の孫娘は100mを泳ぎきりました。今までは最高が75mでしたから新記録です。最後の25mはほんとうにゆっくりでしたが、泳ぎきった時「やったねと」握手を交わした時の彼女の笑顔がとても素敵でした。

これから、釣り、花火、お祭り、登山などを計画しています。1年に1回か2回しか顔を見ることができない孫たちに「素敵な思い出」を残してやりたいと思います。
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2013年02月05日

映画「東京家族」を観る

先日、映画「東京家族」を長泉町・サントムーンの映画館で観てきました。
小津安二郎さんの映画「東京物語」をモチーフにした話題の映画ですが、東部地区ではここでしか上映していません。

物語は瀬戸内海の離れ島から上京した老夫婦が、3人の子供たち家族と過ごす数日間の模様が淡々と描かれています。
勉強のよくできた長男は医院を、長女は美容院を経営し忙しい日々を送っています。長男と比べ成績の良くなかった次男は不安定な仕事で日々をすごしています。

そうした忙しい子供たちの家を泊まり歩くうち明らかになっていく家族関係。
教員をしていたという父親のかたくなで不器用な生き方、そして優しかった母親の突然の死。
男と女の家族との係わり方の違いが淡々と描かれていきます。

そして、老夫婦にほんとうに優しかったのは、落ちこぼれで父親からは見放されていた次男だったという最後に涙が止まりませんでした。  

「この作品を小津監督にささげる」というだけあって素晴らしい映画でした。
山田洋次監督作品らしい「優しい」映画です。
映画を観に来ていた人は中高年が圧倒的でしたが、若い人にもぜひとも観てもらいたい作品です。

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2012年06月04日

安倍奥 大谷嶺(行田山)登山


東北ボランティアで一緒だったAさんと「又、会いたいね」と相談していたところ、Aさんの別荘が梅ヶ島にあるからそこで1泊、ボランティア参加者のBさんも登山が趣味なのでBさんも誘い、3人で安倍奥の大谷嶺に登ることになりました。

Aさんの別荘は、広くてとても快適。梅ヶ島は湿気が多いため、普通の住宅では湿気がこもりやすいが、ログハウスは内部に湿気がこもりにくい構造であり、また窓ガラスも密着した2重ガラスを採用。これも結露防止には有効だそうで、さすが1級建築士の資格をもったAさんが作った別荘でした。
鍋を囲みながら久しぶりの再会に話が弾みとても楽しい夜でした。

翌日は大谷嶺への登山です。大谷嶺は私にとって初めての山です。

林道を進み、記念碑公園の手前で駐車します。以前は記念碑公園まで車でいけたそうですが、今は手前で通行止になっています。

駐車場からの大谷嶺です。左の新窪乗越まで一気に標高を稼ぎ、中央の大谷嶺まで稜線を登ります。

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樹林体の中を進むと、広いザレ場の横断があります。ザレ場は上部に向かってどこまでも伸びています。


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しばらく進むと扇の要に到着します。

扇の要をすぎ、登っていくと樹林帯が消え、新窪乗越まで続く大谷崩にさしかかります。

大谷崩れの最初の崩壊は1707年10月といわれています。これは梅ヶ島に現在も残る古文書の中で宝永4年宝永4年(1707年10月)に当時の代官が交代するとき、次の代官あてに提出された村の状況説明書で報告されています。それによると宝永4年の大地震により大谷崩が崩壊し押し流された土砂が三河内川をせき止め安倍川下流の山林が埋まってしまったと書かれています。


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大谷崩は大きな岩石の連続があるかと思えば、滑りやすい砂利の連続、新窪乗越までの急登は普段の登山道と違い、脚に負担がかかります。


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新窪乗越は南側の展望がきく大谷崩の頭部です。
大きくえぐられた山肌から過去の大規模な崩壊の様子が伺えます。


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新窪乗越から崩壊地の縁を歩き、急な二つ目のピークを登りきると大谷嶺(1997.3m)に到着しました。
山頂に到着した頃は霧が発生、期待していた南アルプスの眺望は全く見えず。


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下山途中新窪乗越でカモシカに遭遇。なぜかカモシカは人間を恐れない、ゆっくりと林の中に消えていきました。


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大谷崩の下山はとにかく落石に注意。またザレ場は滑りやすく慎重に下山しました。

この山はガレ場の連続と、一気に標高を稼ぐため、結構きつい山でした。
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2012年05月16日

丹沢縦走の記録・・・西丹沢自然教室〜檜洞丸〜臼ヶ岳〜蛭ヶ岳〜棚沢の頭〜熊木沢出合〜ユーシンロッジ 〜大石山〜西丹沢自然教室

ゴールデンウイークの最後5月5日〜6日丹沢を縦走してきましたので紹介します。

西丹沢自然教室〜檜洞丸間はたくさん山行記録がありますので省略します。

5日、西丹沢自然教室周辺はキャンプをする人々のテントがずらり、壮観でした。

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展望台からの富士山が美しい。

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丹沢にはシカがたくさんいます。

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檜洞丸に到着しました。多くの登山者は、ここから引き返していきますが、我々はここからが本番です。
金山谷乗越までは急激な下りが続きます。さらに臼ヶ岳までは数カ所の小ピークを通過していきます。

臼ヶ岳山頂は大きな台地となっていました。切り立った崖の上から眺める蛭ヶ岳とあす下る熊木沢出合が見えます。

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さらに臼ヶ岳から蛭ヶ岳への急登が続きます。

蛭ヶ岳山荘に到着しました。時間が早かったので、山荘横の休憩所で乾杯。
山荘の夕食はおでんと食べ放題の佃煮類。混雑を予想していましたが、男性は布団1枚に一人寝ることができました。
山荘のスタッフは全員年配の男性でしたが、皆さんとても気持ちが良い方ばかりでした。
明日のコースをスタッフに聞きましたが、全員通過したことがなく情報は聞くことができませんでした。
数年前ユーシンロッジが休業になり、私たちの明日のコースはほとんど使われなくなったようです。ネットで調べても詳しい情報があまりありませんでした。

翌朝は4:30分朝食。5時出発しました。
鬼ヶ岩ノ頭〜棚沢の出合までは快適な稜線歩きです。
棚沢の出合から熊木沢出合まで一気に下る尾根に入り込みました。
あまり登山者が入っていないだけに、所々で踏み跡が消えます。
快適なブナの林が続いたあと、突然バラに覆われた大地があらわれました。踏み跡が全くわかりません。ここはとにかく尾根の右側を下ります。

弁当沢の頭の手前、広いブナが続きます。左にカーブしている箇所で右に下りたくなりますが、コンパスで方向を確かめます。尾根を忠実に左に曲がっていきます。
弁当沢の頭からは一気に棚沢の出合まで下ります。最後は急な坂が続きますので注意しましょう。

棚沢の出合で熊木沢と箒杉沢が合流します。熊木沢には橋がかかっていましたが、途中で崩壊しています。しかし、脚立がかけられ渡ることができるようになっています。

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ここまで一気に標高差700mを下ったことになります。

ユーシンロッジまでは、電力会社の管理する立派な林道を歩きます。水力発電のダムがあるのですが、今は貯水されていないので使われてないようです。原発が止まっているのになぜ動かさないのでしょうか、不思議ですね。

ユーシンロッジは現在休業中ですが立派なトイレが使用できますし、向かって右側の奥に入っていくと、避難小屋として2部屋が開放され、炊事場も使うことができるようになっています。来年には再開するようです。

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ユーシンロッジから大石山を経て、テシロノ頭〜檜洞丸への分岐までは標高差約700mの上りです。
大石山への途中、この山の由来となったのでしょうか。巨大な岩がありました。山頂かと思いしや、それから山頂はまだまだです。

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大石山からテシロノ頭までは3つのピークを通過しなければなりません。疲れた体に応えます。

石小屋ノ頭から同角ノ頭の間はガレた痩せ尾根が続き、鎖、はしごが連続しますので注意が必要です。

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ようやくたどり着いた檜洞丸分岐から西丹沢自然教室までは標高差1000mの下りが延々と続きます。

紐の結び方がゆるかったのでしょうか。2度の大下りで爪を痛めたのでしょうか両足の爪先が痛くなってきました(この記事を書いている頃は、両足の親指の爪が黒ずんできています。ことによると爪が死んでしまったかもしれません)。

西丹沢自然教室まで30分頃、雷鳴とともに雨が降り始めました。関東地方に竜巻を生じた低気圧の影響でしたが、幸いなことに大事には至りませんでした。

こうして厳しい縦走が終わったのです。

初日は7時間、2日目は10時間の行程でした。他のメンバーはまだ余裕があるように見えましたが、私には限界でした。いろいろ忙しく2ヶ月くらい登山をサボっていたツケがまわってきたようです。
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2012年05月10日

話題の映画「我が母の記」を観てきました・・・天城の美しい自然がいっぱい出てきます。

ゴールデンウイーク中、話題の映画「我が母の記」をみてきました。

主人公の「耕作」は少年時代、現在の伊豆市天城湯ヶ島の「おぬいばあさん」のもとに預けられます。

「母親に捨てられた」と思っていた耕作は認知症になった母親と暮らす中、母親のことを少しずつ理解していきます。そして母親が死んだあとその真相を知ります。

感動的な映画でした。

私は映画を見ながら、自分の母親のことを思い出しながら涙が止まりませんでした。

まだ母親が健在だった頃、帰省するとたくさんの料理を作って出迎えてくれました。

お腹がいっぱいになっても「もっと食べろ、もっと食べろ」としつこく勧めてくれたものです。

そんな母も認知症になりました。どんどん進行していく認知症。ついに息子が誰かわからなくなりました。

ある時、母と温泉に行きました。妻も一緒でした。

昼食どき、母は自分の分を半分残し、私に食べろと勧めたのです。

老人施設に預けられていた時、訪ねていくと「お前に上げるものがないんだよと」済まなさそうに言っていたことも思い出します。

この映画は「子を想う母親」の愛情とはこんなものだったのかを再認識させてれました。

私も父親ですが、とても母のような真似はできません。

そんな母はもういません。

天城湯ケ島の「滑沢渓谷」や中伊豆の「わさび田」などの美しい自然とともに描かれる素晴らしいこの映画、是非ともたくさんの方々に観てもらいたいと思います、

「わが母の記」公式サイト
http://www.wagahaha.jp/







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2012年03月12日

東日本大震災1年・・・ 陸前高田市・追悼行事に参加

東日本大震災から1年がたちました。死者は1万5854人 、行方不明者3155人に及んでいます。11日、鎮魂の祈りは被災地各地でおこなわれました。

私は、3月3日から11日まで岩手県の被災地へのボランティアに参加してきました。

静岡県ボランティア協会が募集している災害ボランティアで、今回は43次隊10名。岩手県遠野市ボランティア支援センター「遠野まごころ寮」を拠点にして被災地や仮設住宅を訪問してのボランティア活動を行ってきました。

私たちボランティアが11日に陸前高田市・上長部地区で開催された追悼行事に参加してきた報告をいたします。

陸前高田市は大津波から残った「一本松」で全国的に知れわたった街です。陸前高田市・上長部地区は一本松から車で10分ほど奥に入った地域です。60数軒のうち20軒を残しすべて流されました。そして15名の尊い命が奪われました。

午後2時46分、地元住民と参加した100余名のボランティアは全員手をつなぎサイレンの合図とともに黙祷をしました。

私も被災した女性と手を結び黙祷をしました。40軒以上の家が無くなり、平地となってしまった上長部地区、そしてバスの中から見てきた被災地の姿、そして仮設住宅で被災者から聞いた、生々しい津波の実態が頭の中でフラッシュして嗚咽が止まりませんでした。会場のあちこちからもすすり泣きの声が聞こえてきました。

こんな悲惨なことは2度と起こしてはいけない。

静岡県だっていつこんな状況になっても不思議ではない。

その為には私たちは何をしなければならないのか。そこで学び、感じたことはこれから少しずつ紹介していきます。

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二つの写真で慰霊碑の全文を読んでください

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2012年01月23日

修善寺〜新宿 時間はかかるが2000円

土曜日から東京・新宿に行ってきました。

今まで、東京に行くときは高速バスを使っていました。

小田急箱根高速バス 三島エクスプレスは大平車庫に駐車して新宿まで2000円。回数券を買うと平日1700円、土日で1800円。これが一番安いと思います。

http://www.odakyu-hakonehighway.co.jp/route/images/mishima/ttl02.jpg

そのほかにも、小田急高速バスは修善寺〜新宿往復4500円も運行しています。

http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/news/20090224/1024012/


大平車庫までのガソリン代を考えるとどちらが安いのかはわかりませんが、三島エクスプレスは予約制でない、1日3本運行(修善寺からは2本)、時間帯が使いやすいとの理由から、私はこちらをよく利用していました。

しかし、今回は駐車場が使えるか不安だったので鉄道を利用することにしました。

修善寺〜小田原 1150円 小田原で小田急の急行に乗り換えました。小田原〜新宿850円 計2000円です。

かかった時間は3時間半くらい。

帰りは、チケットセンターで新宿〜小田原の格安チケット620円を購入できましたので1770円。

このコースは初めて利用しましたが、時間はかかる、寒い、混雑するなどあまりメリットは感じませんでした。

高速バスは乗り換えなし、空いている、座席はゆったり、暖房がしっかりきいている、渋滞が無けれ時間が早いなどのメリットがあります。

どちらがより快適か、軍配は、高速バスにあがりました。

暇があっても収入が少ない今、安価に旅行するのも工夫が要ります。

まだ使ったことの無い方はお試ししてみてください。



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