2024年10月09日

袴田さん無罪、検察が控訴断念発表 「捏造には不満」異例の総長談話

袴田巌さんの無罪確定。本当に良かったです。
お姉さん、そして弁護団、支援されたたくさんの方々の長い闘いがようやく実りました。
それにしても、再審における静岡地裁も静岡高裁でも明白に「捏造」だと断定していたことに対し、「捏造に不満」との検事総長の談話はひどいですね。
今検察がやるべきことは、袴田さんへの真摯なお詫びの言葉と捏造への反省、そして捏造した検証結果を国民の前に明らかにすることです。
こうした検証がなされないなら再び「袴田事件」のような冤罪が発生する恐れがあると思います。


10/8(火) 17:42配信  朝日新聞DIGITAL

袴田さん無罪、検察が控訴断念発表 「捏造には不満」異例の総長談話


1966年に静岡県のみそ製造会社の専務一家4人を殺害したとして強盗殺人罪などで死刑が確定した袴田巌さん(88)に対し、再審(やり直し裁判)で無罪を言い渡した9月26日の静岡地裁の判決について、最高検は8日17時、控訴しないと発表した。

 逮捕から58年を経て、袴田さんの無罪が確定する。確定死刑囚が再審で無罪となるのは戦後5件目。過去の4件はいずれも検察が控訴せずに無罪が確定していた。

 最高検は畝本直美・検事総長名による異例の「談話」を発表。証拠捏造(ねつぞう)を認めた静岡地裁判決について「捏造と断じたことに強い不満を抱かざるを得ない」と批判しつつ、再審請求審が長期にわたったことなどをふまえ「袴田さんが結果として長期間にわたり、法的地位が不安定な状況に置かれてきた。検察が控訴し、その状況が継続することは相当ではないとの判断にいたった」と述べた。

 関係者によると、検察内では、証拠捏造を認めた判決の判断に反発があったが、再審請求審に続き再審公判でも検察の主張が退けられており、控訴については「慎重な検討が必要だ」との声が上がっていた。

 みそ製造会社の従業員で元プロボクサーの袴田さんは66年に強盗殺人罪などで逮捕・起訴され、捜査段階で「自白」。公判で否認したが、80年に死刑判決が確定した。

 2008年に始まった第2次再審請求審で、再審公判の開始が静岡地裁で決定。東京高裁の取り消しや最高裁の差し戻しを経て、23年3月に同高裁で確定した。

 同年10月に始まった再審公判で、検察は、改めて袴田さんが犯人だとして死刑を求刑した。

 今年9月の判決は、袴田さん逮捕後にみそタンク内で発見された中心的な証拠「5点の衣類」について、「捜査機関が血痕を付けるなどの加工をして隠した」とし、衣類のうちズボンから切り取られたとされる端切れも捏造だと述べた。

 捜査段階の自白を記録した検察官の調書も「非人道的な取り調べで得た実質的な捏造」と指摘。そのうえで、残る証拠では、袴田さんを犯人と認定できないとして無罪を言い渡していた。(金子和史)
posted by イズノスケ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月27日

袴田事件の再審公判で無罪判決 静岡地裁は冤罪と判断

9月26日におこなわれた静岡地裁における袴田事件の再審請求で袴田巌さんの無罪判決が出されました。
判決によると袴田事件の「無罪判決」の証拠に3つの捏造が認められました。

1・袴田巌さんの自白は実質的的に捏造されたもの
2・5点の衣類は捜査機関によって加工され隠匿したもの
3・5点の衣類のうちのズボンの端切れも捜査機関にに捏造されたもの


証拠を捏造し裁判所の開示命令が出されるまで隠匿し続けた。これは国家権力による恐ろしい犯罪だと私は思います。
袴田事件は他人事ではないと思います。国家権力により証拠を捏造されたら無力な個人の力では対抗しようがありません。
2度とこうした冤罪が起こらないように法改正を含め早急な対策が求められます。


【速報】袴田事件の再審公判で無罪判決 静岡地裁は冤罪と判断 今後の焦点は検察が控訴するか否か

9/26(木) 14:03配信 テレビ静岡

1966年に静岡県清水市(現在の静岡市清水区)で4人が死亡した強盗殺人放火事件、いわゆる袴田事件のやり直しの裁判で、静岡地裁は9月26日、被告の袴田巖さんに対して無罪判決を言い渡しました。法廷では現在も判決理由の説明が続いています。

全文です
https://news.yahoo.co.jp/articles/bde9de1fade1a59bfc89cf3bf23ade6006a28256
posted by イズノスケ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月12日

東日本大震災13年 つながりを保つ復興こそ

東日本大震災から今日で13年になります。
津波で甚大な被害を受けた沿岸部や東電原発事故で避難せざるを得なくなった周辺市町への住民の帰還も困難な状況のままです。
先回の当ブログでも紹介した浪江町、80%を占める山林の除染が手つかずのまま故郷に帰ってこい、と言われてもライフラインが貧しい故郷に帰れない方々が圧倒的に多いのもうなずけられます。原発の立地である双葉町はもっと困難な状況になっています。
今年1月1日に発生した能登半島の地震でも甚大な被害が生じました。
東日本大震災から13年たっても、避難所にパーテーションもないまま、飲食料品も寝具類も少ないまま避難し、雑魚寝せざるを得ない方たちを見聞きするたびに、日本はそして政府は東日本大震災から何を学んだのだろうかと悲しい思いになります。
近い将来大地震が発生するだろうといわれている静岡県に住む私たちにとってもこの現実は決して他人ごとではありません。



毎日新聞
2024/3/11
東日本大震災13年 つながりを保つ復興こそ


災害関連死を含め2万2000人以上が犠牲となった東日本大震災からきょうで13年になる。

 建物や公共インフラなどハード面の整備はほぼ完了した。だが、人々が安心して暮らせる「心の復興」は道半ばだ。

 同じ被災地でも地域によって復興の度合いやスピードは異なる。仙台など都市部がにぎわいを取り戻す一方、甚大な津波被害を受けた沿岸部では、暮らしや産業の再建が思うように進んでいない。


 地域のつながりをどう保ち、コミュニティーを守るかが大きな問題になっている。

 共同体の再生に取り組み始めたばかりの地域がある。東京電力福島第1原発事故の影響で「帰還困難区域」に指定されていた周辺自治体だ。

地域共同体の再生が鍵


 国のまとめでは、故郷を離れて今も避難生活を送る被災者は全体で2万9000人を超える。このうち2万6000人以上が、原発事故に伴う避難者である。

 福島県は、帰還が遅れていた原発周辺12市町村について、2021年度から、移住者に支援金を交付する事業に取り組む。

 除染作業が優先的に進められた帰還困難区域の一部は22年6月以降、避難指示が順次解除され、居住可能になった。

福島県双葉町。手前中央はJR双葉駅。奥に東京電力福島第1原発が見える=2024年2月11日午後1時5分、本社ヘリから
 原発が立地する同県双葉町では同年10月から、災害公営住宅の入居が始まった。

 震災時の人口は7140人だったが、今年3月1日現在、102人にとどまる。他の地域から移り住んだ人が6割を占める。

 JR双葉駅前の災害公営住宅に住む浜田昌良さん(67)もその一人だ。公明党の元参院議員で、通算5年間にわたり副復興相を務めた。引退後、福島の復興の歩みを自らの目で確かめようと横浜市から移り住んだ。

 1年半暮らす中で、地元が抱える課題も見えてきた。

 住民は男性の単身者が多く、20〜50代の子育て世代は少ない。町内の学校は再開されておらず、別の町に通学しなければならない。

 女性の居住者が増えにくい現状について、「ドラッグストアや美容院などの施設が少ない」との悩みも聞くという。

 浜田さんは「移住者向けの住宅が足りない。若い世代を増やすには起業と創業の支援も必要だ」と指摘する。

 帰還者と移住者のつながりをいかに作り出すか、腐心している。交流の場「まちカフェ」の開催や地域の絆を強める神事の再興などの試みが続けられている。

 除染廃棄物を保管する中間貯蔵施設を抱え、県外の搬出先も決まっていない。厳しい状況は変わっていないが、他の地域で暮らす住民の意識に変化の兆しも見え始めている。

 復興庁が2月末に公表した意向調査では、「戻りたい」人の割合は10年前の10%から15%に増えた。「戻らない」は65%から55%に減少した。

 住民の中には、避難先に生活基盤ができて戻れない人もいる。コミュニティーの一体性を維持するためには、そうした人たちとのつながりを保つことも大切だ。

高齢・過疎地どう守る


移転先のまちづくりについて意見を出し合う住民ら=宮城県東松島市で2014年8月31日、佐々木順一撮影
 双葉町に先んじて一部地区で避難指示が解除された同県葛尾(かつらお)村では、稲作イベントに村外避難中の住民も招くなどして、つながりを断たないようにしている。伝統舞踊も復活させた。

 住民が主体となって、震災後の共同体の再建に取り組んできた自治体もある。

 宮城県東松島市は復興を進める際に地区ごとに住民組織が加わる「まちづくり協議会」を設けた。

 同県岩沼市は、仮設住宅の入居や造成された宅地への移転を同じ集落の住民がまとまってできるようにした。

 今年の元日に起きた能登半島地震の被災地でも今後、共同体の再建が課題となる。

 大震災で国の復興構想会議の議長を務めた五百旗頭(いおきべ)真(まこと)さん(6日死去)は、2月の毎日新聞の取材で、首長や行政によるトップダウンではなく、「住民の合意が得られるよう、話し合いは早く始めた方がいい」と提言していた。

 近い将来、南海トラフ地震の発生が予想され、高齢化と人口減少が進む過疎地が大地震に襲われるリスクは小さくない。地域のつながりをどう守っていくのか。行政と市民が共に考える枠組みを整えておくことが求められる。
posted by イズノスケ at 12:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月05日

福島原発事故から13年。浪江町から富士市に避難した堀川夫妻のお話会

img20240305_06252605.pdf福島原発事故から13年、浪江町から富士市に避難してきた堀川文夫さん、貴子さんが3月2日伊豆の国市の韮山文化センター映像ホールでで講演し被災体験と故郷への思いを語りました。
映像ホールはほぼ120人ほどの参加者でほぼ満席でした。

img20240304_22150053.pdf

2011年3月11日、東北地方を襲った大地震の激しい揺れ愛犬をかばった貴子さんは腰を痛めました。自宅は無事でしたが、文夫さんは「これだけの大地震なら福島原発も危ないのではないか」と直感し直ちにご夫婦と愛犬、猫とともに避難を開始しました。貴子さんの腰の痛みはひどくなり現地では治療もままならなかったために、貴子さんの実家に避難しました。その後、インターネットで見つけた富士市へ移住して塾を経営しながら震災体験を語る活動を行っています。

この講演会でご夫婦は原発事故被害の現実とを語りました。

放射能汚染で全町避難をせざるえなくなった浪江町。放射能で汚染された自宅を取り壊すためには期限内で申し込みをしなければなりません。その時期を過ぎたら全額自己負担になってしまいます。 文夫さんのお父さんが建築した自宅を取り壊すにはとてもつらかったのですが、やむをえないので取り壊すことにしました。自宅が解体される様子を撮影した作品も上映されました。涙を流して呆然と解体作業を眺めることしかできないご夫婦。自分たちは何も悪いことをしていないのにこの理不尽。
家がなくなった土地は固定資産税がアップしました。「帰宅困難区域が解除されたのだから帰ってこないのが悪い」とでもいわんばかりです。
浪江町の80%を占める山林は除染されず汚染されたままです。雨が降れば放射能は流れてくるし、風で舞い降りてきます。そこに住めと言われても躊躇するのは当然だと思います。

浪江町にも最近新たな施設、住宅が次々に建設されています。しかしそこに住み、就職している大多数は浪江町住民ではありません。移住者がほとんどです。県内外からの移住者には補助金100万円が出ます。しかし、元の住民には出ないそうです。これも理不尽。
「浪江町は別の浪江町になってしまった」文夫さんの悲痛な叫びが心に迫りました。
それでも文夫さんは浪江町に帰って「故郷で震災の経験を伝える活動をしたい」と話しました。

東日本大震災から13年たって私は当時の衝撃を忘れ去り、何事もなかったように無関心の生活しています。しかし、今回ご夫婦の話をお聞きし私は恥ずかしくなりました。東日本大震災の最近の情報がほとんど流されなくなり、真実を知ることができなくなった今、こうした講演会などを通して真実を伝えていく、知っていく大切さを痛感しました。
講演会を企画してくださった「起き上がりこぼしの会」の皆様、ありがとうございました。

3月3日 静岡新聞

img20240305_06252605.pdf


3月5日 伊豆日日新聞

img20240305_08502998.pdf






posted by イズノスケ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月23日

天城山系守る講演会 シカ捕獲 、植生保護

伊豆地区の16クラブが所属するライオンズクラブは21日、天城山系の環境を守ることを目的とした講演会を伊豆市民ホールで開催しました。
県自然保護課の渡辺さんは「伊豆地域におけるニホンジカの捕獲の取り組みで生息数がピーク時の6割ほどに減少している」と語りました。
天城ブナを語る会代表の山口さんは「天城山の森林生態系の将来像を展望する」をテーマに講演しました」
天城山には天城シャクナゲなどの希少な固有種がみられる一方、シカの食害や、登山客の増加などによる影響で天城山系は荒れ果てていることを過去の写真と現在の写真を見比べて説明しました。天城山系の荒廃は伊豆半島の自然災害の危険性を増大するとともに、天城山系からの栄養豊富な水により豊かな漁場を培っている伊豆半島の漁業にも大きな影響を及ぼしてきている」と危機感を語りました。

登山を趣味としてきた私は、天城山系も数えきれないほど登りましたから山口さんの言われていたことはよく理解できました。
日本百名山として有名な天城山には全国からたくさんの登山者が訪れているのに、どうして登山道が荒れるに任せているのだろうと疑問に思っていたことが今回の講演会で解けました。
天城山を所管する環境省は荒れ果てた山系を修復する予算がないために、自然保護団体が危険な個所を指摘してもほとんど修理してもらえない。してもらえることは危険個所にロープを張って入らないようにするだけだ。また、現在、は山口さんたちのように自然を守ろうと活動している団体が天城山系を守る活動を禁止しているため、手も足も出ない状況に陥っている、とのことです。

伊豆半島の80%ほどを占める山林が荒廃しきっている状況では、2035年までには確実に発生するという南海トラフ巨大地震において甚大な被害が発生するだろうことは、能登半島の地震を見ても容易に想像できます。
軍事費を今後5年間で40兆円も使う事よりも、私たちの生活する基盤整備や山林保護に使うお金を増やすことで大地震発生における被害を減らし、結果として復興費を減少できるのではないかと思います。
大自然に囲まれている生活している私たちこそがこうした状況に危機感をもち、政府や自治体に自然保護を守るための政策の策定を訴えていくことが大切ではないでしょうか。

2月22日 伊豆日日新聞

img20240222_17202136.pdf





posted by イズノスケ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月26日

有事でもマイナンバーカードは安心につながる 河野太郎デジタル大臣

河野太郎大臣は災害時でもマイナンバーカードは持って避難してくださいと述べたようです。
「マイナンバーカードは有事でも安心につながる」とは?。
今回の能登半島地震の災害状況を見て、マイナンバーカードをどのように使うのかまったく想像もできません。
昨年10月におけるマイナ保険証の使用率は4.49%だったと厚労省は発表しています。それほど国民はマイナ保険証を必要としていないし、信用していないのでしょう。
河野大臣は、この災害時にどのようにマイナンバーカードが使われたのかを具体的に国民に説明をしていただきたい。
「マイナ保険証」に一本化後、大災害に「デジタル」で対応できるのか。河野大臣が言うように、マイナカードが「有事の安心につながる」とはとても思えません


河野大臣
 マイナンバーカードはデジタル社会のパスポートとして、平時の便利だけでなく有事の安心にもつながるもの。
マイナンバーカードをお持ちのかたは、タンスに入れておくのではなく、現時点ではぜひ財布に入れて、避難する際などに一緒に避難していただければと思っている」

能登半島地震発生後、全国保険医団体連合会(保団連)はHPでこう訴えている。

《いつ停電が解除され、通信インフラが回復するか見通しが立たない中で災害時・システム障害時、停電等の場合は明らかに保険証・お薬手帳による対応(アナログ対応)が優位です。》



posted by イズノスケ at 06:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月08日

恐ろしい24年の幕開け 

2024年は1月1日の能登半島の大地震、2日の日航機の衝突炎上というショッキングな出来事で始まりました。

能登半島では余震がいまだ続き、8日現在死者数128人、、安否不明者は195人となっています。
能登半島をめぐる数少ない道路の崩壊などで救助活動がなかなか進まない中、被災されたか方々の状況は悪化をたどっています。
大地震とともに発生した津波、そして大火災。
2011年に発生した東日本大震災を思い出しました。発生から数か月後に訪れた被災地では崩れ落ちた住宅、そして住宅の屋根に打ち上げられた大きな船がそのまま残っていました。
次に災害ボランティアで訪れた遠野市に避難された被災された方から聞いた生々しい話は涙なくして聞くことができませんでした。
東日本大震災は真冬の震災、そして今回も真冬の出来事。がれきに埋もれた街、街。同じようなことがまた起こってしまいました。

新聞やテレビでニュースを見ていると、政府や石川県の震災対応が大変遅いように思います。
不思議でしょうがないのは、陸路や海路での救援物資の配送が困難ならなぜ空路を使わないのかということです。
孤立した被災地に自衛隊のヘリコプターで支援物資の投下は道路が崩壊していて可能ではないでしょうか。
さらに、ドローンを使って情報や支援物資を被災地に届けることが可能だと思うのに何故しないのでしょうか。
テレビや新聞では空路での輸送をやるべきであるとの議論がほとんどされないわけはなぜでしょうか。

降雪や降雨で被災された方々はさらに厳しい状況となってきました。政府や県、自治体による一刻も早い支援の手が届くことを願うとともに、私たちでもできる支援の輪を広げていきましょう。









posted by イズノスケ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年12月25日

2050年県内人口80万人減 伊豆、中山間地域半減も

厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所がまとめた2050年までの全国の自治体の将来人口によると静岡県人口は20年の363万人から50年には282万人と約80万人(22.1%)減少する見通しになりました。自治体別では特に伊豆地区や中山間地の一部地域は20年から30年間で5割以上減少すると試算されました。

20年の人口を100とした場合の50年で最も低かったのは川根本町の35.8%、西伊豆町40.5%、東伊豆町48.5%、伊豆市49.7%と続き伊豆地区の複数の市町で50を割りました。

65歳以上の高齢化率が40%を超える市町は50年で23市町が越える見通しです。最高は東伊豆町の60.8%で、熱海市60.2%、伊東市57.1%。伊豆市55.3%です

0~14歳の人口の割合が10%を超えた市町は10市町です。最低は西伊豆町3.7%、東伊豆町4.2%、伊豆市6.0%です。

以上静岡新聞の報道をもとにしましたが、65歳以上の東伊豆町以外の高齢化率と伊豆市の0~14歳の人口の割合は国立社会保障・人口問題研究所の発表をもとに私が計算したものです。

伊豆市の詳細分析は次回に紹介します。

12月23日静岡新聞報道

2050年県内人口80万人減 伊豆、中山間地域半減も


img20231224_16415697.pdf

img20231224_16424722.pdf

    
posted by イズノスケ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年12月10日

千葉県いすみ市、有機米を学校給食に完全導入 その成果を聞く講演会

12月9日、伊豆市は、農薬や化学肥料を使用していない有機食材(米や野菜)を全市の学校給食に取り入れている千葉県いすみ市の農林課主査の鮫田を招き、「オーガニック給食」をテーマにした講演会を開きました。
私も有機家庭菜園を実践していますので大変興味を持ちました。
有機農業は欧米や韓国では普及していても、日本ではまだ1%以下と普及が遅れています。
どれだけの参加者があるのだろうかと思って参加しました。伊豆日日新聞では参加者は150人と書かれていますが、主催者の方は200名もの参加があったとしています。
最後に行われた質疑では伊豆市以外からの参加者の質問が多かったので、他自治体からの参加者も多かったのではないかと思います。

化学肥料や農薬を使った農業は自然環境の悪化につながっています。
有機農業とは化学肥料や農薬を使わない農業のことであり、有機農業は「食の安全」ということが中心に語られています。しかしそれは一面であり、最も大きなものは「優しい地球環境」への寄与であると鮫田さんは言います。

日本でこれだけ普及が遅れているのに何故いずみ市では、全学校で有機米や有機野菜(まだ種類は少ない)の完全給食が実現できたのか、という問いに対し、市長が提唱し「市長の熱意」があったからこそであると鮫田さんは答えました。
いすみ市は子育て支援の充実などで移住希望者が日本でトップであり、全国から注目されています。
環境にやさしい農業を推し進め、充実した子育て支援に積極的に取り組むいすみ市の市長は素晴らしいと思います、莫大な公共投資で箱モノを次々と作っている伊豆市の菊地市長との政策の違いを比べて、どちらが住民にとって幸せな政治だろうか。
改めて考えさせられた講演会でもありました。


12月10日 伊豆日日新聞

img20231211_06343371.pdf
posted by イズノスケ at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年11月09日

負の歴史、目を背けぬ 映画「福田村事件」の監督・森達也さん(その2止)

昨日に引き続き、映画「福田村事件」の監督・森達也さんと池上さんの対談 その2です。
福田村事件とは、関東大震災の時朝鮮人がたくさん虐殺されました。ほとんど知られていないですが、朝鮮人に間違えられた日本人も虐殺された事件がありました。
なぜそのような事件が起こったのか、そしてなぜこんな大事件が知らされてこなかったのか。
お二人の対談から読み取っていきましょう。



毎日新聞 2023/11/5 

負の歴史、目を背けぬ 映画「福田村事件」の監督・森達也さん(その2止)

 ◆今回のゲスト 映画「福田村事件」の監督・森達也さん

森さん 異質なものを排除する未熟さ

池上さん 平凡な人が殺人者になる恐怖

 池上 映画製作に当たって資金繰りや出演交渉は大変だったのではないでしょうか。

 森 最初のスタッフミーティングで「誰が出演してくれるのか」という話になりました。この映画は反日映画、反日俳優と右派から言われるリスクが高いと思っていましたから。俳優が出たくても所属事務所は嫌がるだろうとも思っていたので俳優探しは苦労するだろうな、と。でも蓋(ふた)を開けたらみなさん、二つ返事で引き受けてくれました。

 池上 どうしてでしょう?

 森 オーディションの書類には「こういう映画を待っていた」といった内容の書き込みが多数ありました。うれしい誤算でした。同時に何で日本の映画界は負の歴史に向き合うことをテーマにしてこなかったのだろうと改めて考えました。一方、資金的には正直きつかった。大手はどこも出資してくれなかったので(不特定多数の個人から資金を募る)クラウドファンディングで3000万円ぐらい集めて製作をスタートさせました。時代劇、群衆劇はとりわけ費用が必要なので資金的にはギリギリ。でも、予想外だったのですが、思ったよりヒットしています。


 池上 地元や右翼から反発されるといった心配があったのではないでしょうか。

 森 実は上映中止運動などが起きるのではないかと身構えていましたが、これまでそうした抗議を受けたことはありません。不思議です。もしかしたら「朝鮮人虐殺はなかった」ことにするのはさすがにできない、と多くの人が思っているからかもしれません。

 池上 過去に正面から向き合わないと悲劇が繰り返される恐れがあります。東日本大震災の直後は「外国人の窃盗団が被災地で家財などを盗んでいる」といったデマが流れました。

 森 起きてしまう恐れがありますね。それには、排他性が強いという日本人の特性も影響しているのかもしれません。例えば、ハンセン病ですが、特効薬が開発されて欧米では患者を隔離する必要はなくなっても、日本は患者を隔離し続けました。入管法やジェンダーの問題も同じ。自分たちと違うものは隔離したい、異質なものは入れたくないという意識が強い。ホームレスや不審者排除を本音とした仕切り入りベンチも同様です。それは人間の本能かもしれない。でも人は理性によって他者を知ることも共存することもできるはず。その意味で日本はとても未成熟と感じます。

 池上 朝鮮人の虐殺や福田村事件に話を戻しますが、平凡に暮らしていた人が殺人者になるという恐ろしさがあります。

 森 最近では、ロシア軍によるウクライナ・ブチャの虐殺がありました。ただ、残虐な行為に手を染めたロシア兵は、国に帰れば母親に甘える息子や、子どもを抱きかかえる父親だったかもしれない。そういった人々が軍隊という組織の中でありえないほどに残虐な過ちを犯してしまう。つまり(ユダヤ人の政治哲学者の)ハンナ・アーレントが言うところの「凡庸な悪」。人間はそういう生き物で、そのことをしっかり学ぶことで悲劇を防げるかもしれませんが、そもそも負の歴史から目を背けたら学ぶことさえできません。

 池上 福田村事件には日本が朝鮮半島を併合していたという歴史が背景にあるのでしょう。日本人は朝鮮人を差別、迫害してきました。差別しているからこそ、いつか報復されるのではないかという恐れがあった。それが映画では伝わってきます。

 森 まさにこの時期の日本人は、植民地統治しているからこそ、朝鮮人に対する不安と恐怖がありました。それが流言飛語によって過剰反応して、虐殺につながった。多くの戦争も同じように、不安と恐怖によって始まってしまうと思います。守らねばという意識です。これは日本に限ったことではなく、世界も同じです。

 実は、映画のタイトルを福田村事件とするのを、ずっとためらっていました。その理由はたまたま福田村で起きたけれども、どこでも起きかねない事件でした。それに虐殺は世界で起きている。普遍的な事件ですから地名をタイトルにすることをためらったのですが、アイデアが浮かびませんでした。

 池上 行商人の男性が「朝鮮人なら殺してええんか」と言うシーンが印象的です。

 森 あのせりふは劇場の観客に向けた叫びでもあります。そのシーンで、多くの観客は「日本人だから殺してはいけない」といつの間にか思っていたはずですから。

 池上 行商人が暮らしていた土地は被差別部落だったという事実も描いています。実際の事件と差別問題は結び付いたのでしょうか。

 森 福田村の人たちは、彼らが差別されていたことを知らなかったと思います。ただ、この事件の特異性は加害者側だけではなく、被害者側も沈黙してしまったこと。だから誰も知らない事件になってしまった。被害者側は、差別される存在ということで声を上げることができなかったのではないでしょうか。つまりこの国の近代のゆがみが二つ重なっています。

 池上 殺人を犯した加害者の刑が軽かったという問題もあります。実刑になった人は大正天皇の死去に関連する恩赦で釈放されました。

 森 被害者が朝鮮人の場合は、加害者の刑はもっと軽かったようです。この事件の裁判で、検察側が「彼ら(村人)に悪意はなかった。村を守るためにやった」と発言したとの記録もあります。弁護側ではありません。国中がそういう雰囲気だった。日本人は一色に染まりやすいという怖さを実感しました。東アジア全般にこの傾向はあるけれど特に日本人は韓国人や中国人と比べれば我が強くないし、染まりやすいからより危険だと思います。だからこそ自分たちの過ちの歴史をかみ締めないと。

 池上 大学で教えていますが若い人は本当に日本の負の歴史を知りません。ですから日本の若者が海外に留学すると、戦争責任の話題でアジアの若者らから追及されても歴史を知らないから何も意見を言えません。

 森 安倍晋三首相が戦後70年の談話で「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を負わせてはなりません」と述べました。この一節を聞いた時、僕は次のように考えました。韓国や中国の人々は、日本人に対して「戦争のことをいつまでも謝れ」と求めているのではなくて「きちんと記憶してくれ。覚えておいてくれ」と言っていると。足を踏んだ時は謝ったけれども、時間がたつと「忘れた」「踏んでいない」などと主張する。そのような態度を取れば、足を踏まれた人は「ちょっと待ってくれ」と怒って当たり前。それは国対国でも同じです。

 池上 かつて、日本語を学ぶ若者を各国から招いて討論したことがあります。その時にポーランド人の女性が、ドイツ人の若者に向かって「ドイツ人が私たちにしてきたことは許します。だけど忘れない」と発言したことを思い出しました。

 森 負の歴史を記憶する。誰のためでもなく自分のために。そう思います。

 池上 今を生きる若者たちには戦争の責任はありませんが、知る責任はあります。

 森 全く同感です。

 池上 この映画を見て歴史を知った人も多いと思いますが、映画の持つ力はどのように考えていますか。

 森 僕は啓蒙(けいもう)家でもないし、ジャーナリストでもありません。この国を変えようと思って映画をつくっているわけでもありません。たかが映画です。でも、この映画を見てくれた人が「この国はちょっとおかしいぞ」と思ってくれたら。そう考える人が増えていけば、もしかしたらこの国は変わるかもしれません。【構成・瀬尾忠義】

お礼申し上げます 池上彰
 恥ずかしながら、この事件の存在を知りませんでした。差別する側も、どこかにためらいがあるため「相手が報復するのではないか」と恐れている。それが悲劇を生む。欧州で度々起きたユダヤ人虐殺も、その構造でした。普段、差別されている人たちが、何かあると一段とひどい目に遭う。平和に暮らしている人たちが、突然殺人者に転じてしまう。その恐ろしさを、私たちは平時から知っておかなければならないと痛感しました。政治家こそ見るべき映画です。
posted by イズノスケ at 11:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする