2011年は日本にとって本当に大変な年でした。
東日本大地震発生以降連日報道された大地震、すさまじい破壊力を持った大津波の映像、そして福島原発の爆発、まるでSF映画を見ているようでした。そしてそんな大災害を目の前に見ながら、涙を流しながら見ていることしかできない自分たちの無力さに打ちのめされた日々でもありました。
私は体の不調のため、震災地へのボランティアに行くことができませんでした。しかし、どうしても震災地の現実を見てみたいと思い、夏に石巻市を訪ねました。
その時の模様をあるサイトの日記に書きましたので、ここで紹介させていただきます。
大震災被災地・石巻市を歩く
東北旅行2日目は地震と津波で大きな被害を受けた「石巻市」を歩いた。
仙台駅前から高速バスに乗り1時間半位で石巻市に到着。
駅前の観光センターに寄り、被災地への行きかたを教えてもらった。
駅前大通りあたりは一部の店舗でガラスが割れていた程度だったが、マンガロードを旧北上川方面に向かうと、どんどん被害が大きくなってくる。商店街のシャッターの一部は開けられているものも、ほとんどは閉められたままである。中にはシャッターが大きく破損している店舗も。
それが旧北上川に近づくと一変する。ほとんどの家の一階部分は破壊し尽くされている。家の中の瓦礫が撤去されている家もあるが、手付かずの家もまだある。
旧北上川の中瀬。ここも津波で多くの建物を失った。石ノ森萬画館はコンクリートのお建物のために破壊は免れた、津波が襲った時はこの建物の2階に多くの人が避難したそうだ。
壁には被災地を訪れた人々の寄せ書きがたくさん書かれていた。
かろうじて残った旧石巻ハリスト正協会協会堂。その脇には破壊された船舶が今もまだ残されている。その他の建物は破壊しつくされ、瓦礫が撤去された平地が拡がっているのみである。
旧北上川沿いを海の方向に沿って歩く。一階部分がまさしく破壊されつくされた家々がどこまでも続く。住民はほとんど見当たらない。皆さん避難所生活をされているようだ。
このあたりは道路上の瓦礫はほとんど撤去されているが家屋の中はまだ手付かずの家が多い。
大津波の時、多く人々の命を救った高台にある日和山公園に登った。震災当時ここから撮影された大津波・大火災の状況がテレビで刻々と放映され、その恐ろしさに震えながら、涙を流しながら私もテレビの前から離れられずに見守っていた場所である。
日和山公園の眼下には一部建物が残っているが津波で破壊しつくされ平地になってしまった街々がどこまでも広がっている。いたるところに集められた瓦礫の山が。実際に眼で見なければ実感できない大震災の恐ろしさ。息を呑む風景であった。
被災地の写真を撮っていたとき、若い男性が話しかけてきた。彼も被災者だった。幸い亡くなった家族はいなかったそうだが、奥さんの実家が大きな被害を受けたようだ。
被災直後のこの場所からの状況を語ってくれた。今はだいぶ瓦礫の撤去が進んだが、遠くにある学校が見えないほど瓦礫で埋まっていた。津波を逃れ2階に避難し、水が引いたから1階に下りたらそこには知らない人の死体が・・・
淡々と語る彼に、一緒に聞いていた東京から来た若者が聞いた。「そんな被災地を訪れる事がいいのかどうかすごい躊躇があった」と。
しかし石巻市の若者は「そんな事はない、私たちはたくさんの人々が被災地に来てくれる事自体が嬉しい。もっとたくさんの人に来て欲しい。そしてここの状況を周りの人々にどんどん発信して欲しいです」と語った。
実際この公園にも多くの人々が訪れ、被災状況を見ていた。少なからぬ人が、タクシーに乗り、被災地をまわっているようだ。
私は「復興に向けて頑張ろうね」と青年と握手をして別れ、石巻駅からバスで仙台駅に戻った。
出かける前はなんとなく重苦しい気分だったが、青年と出会えたことで逆に勇気をもらえた旅であった。
大震災から9ヶ月が過ぎました。しかし被災地の復興はなかなか進んでいません。石巻市の最近の映像を見ても、私が半年前に見た状況とあまり変わっていないように思えます。
被災地を放りっぱなしにして権力闘争に明け暮れている日本の政治の貧困さに怒りを感じます。

