2013年12月29日

廃校を「学びの里」に 岩手県・遠野市

伊豆市では、小学校の統廃合によってたくさんの小学校が廃校になりました。廃校された小学校のうち、湯ヶ島小学校は「文学の里」としての活用がされますが、そのほかは民間に売却されるか、取り壊しが予定されています。学校は学びの場であるととも、その地域に住む住民にとっての大切なコミュニティ作りや、大規模災害時の避難場所でもあります。

そうした多くの廃校された小学校が、どのように活用されるかは全く考慮せず民間に売却してしまうことが正しいのか私たちは真剣に考える必要があると思います。

廃校をどのように利用するのか興味深い内容の記事が毎日新聞に載っていましたので紹介いたします。

12月27日・毎日新聞の記事です。

東日本大震災直後から復興支援の拠点として、多くのボランテイアやNPO、企業などが集まった岩手県遠野市。その企業の一つ、富士ゼロツクス(東京都港区)は支援活動を縁に、過疎化する遠野の町おこしを行政や地元の人と一緒に考えるプロジェクト「みらい創リキヤンプ」を昨年秋にスタートさせた。活動成果の第1弾として、廃校を活用した「学びの里」づくりが来春、始まる予定だ。

市経営企画部のまあげくり再生担当部長の飛内雅之さんは「廃校した五つの中学校の再利用を検討していた。地域活性化のシンボルにするため、東京の企業のもつ知恵やノウハウを学びたかっ
た」と話す。また、今春は同市を拠点に同社の新入社員研修を行うなど交流が広がっている。来春には、旧土淵中学校に「学びの里」準備室を設置。将来的には、校舎で農村レストランやイベント、教室などを開き、地元の人と全国の人が交流しながらさまざまなことを学ぶ場を作る予定だ。


全文は以下をクリックしてください。

廃校を学びの里に.pdf

以下は東洋出版社から発刊された 大槻武治さん著の「不完全燃焼時代」からの引用です。
学校が地域からがなくなるということと、若者が地域から流出することの原因がどこにあるのか考えさせられます。

県教委事務局にいた時に、私は小学校の閉校式というのに来賓として出席したことがあつた。広い講堂で20名程の生徒を前に挨拶を済ませて、後ろに詰めかけた地域の人々の上に目を移すと、日頭を押さえて泣いている何人かの老人の姿が日に人つた。「隣の小学校へ通うようになったら、早く新しい友達をつくって・・・」、などと呑気な挨拶をしていた私が、「学校がなくなる」ということの意味を悟ったのはその時であった。学校がなくなるということは、住民にとつては村がなくなるということであつた。

「伊那谷には生徒数の減少しているところが多いが、それにしても減り方が急激じやないか。どうしてだろう?」
「若者が村に住みたがらないから。全校生徒を対象にアンケー卜をとつてみたら、将来村で暮らしたいと答えた人は何と三人だけでした。その三人も二、三年先にはどう考えが変わるか分かりません」茂克君は顔をあげて言った。                             ,
「やっぱり将来の仕事のことを考えるからだろうか」

「果樹、高原野菜、食品工業、下請けの精密機械工業と挙げていけば、仕事がないわけではないのです。村は町とは反対にむしろ求人難の状態にあるのです。それでも村に住みたくない理由をアンケートで尋ねると、「村の生活には自由がない』『村の生活には夢がない』の二つが圧倒的に多かった。先生には分かるでしょう? 都会の人たちには、こういう土地には豊かな自然ととらわれない自由があるように見えるのでしょうが、日本の田舎は若者には息苦しい社会なのです。努力すれば自己実現が可能な社会、自己実現した自分が認められる社会とは正反対の社会と言ってもいいのじゃないかな。村の方からは『郷土を愛する心を育ててくれ』という働きかけがあつて、その大切さは十分に分かるつもりだけれども、自己犠牲の上に村を存続させるという発想はどうかという気持ちもないわけではありません」

「自分は村のためになっている、村も自分のためになっているという感覚がなければ、村を愛する気持ちは生まれてこないだろうな」
posted by やまちゃん at 15:25 | TrackBack(0) | 日本の社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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